かけがえのない存在と悔いのない時間を
以前、新聞の書籍広告欄に著書名または見出しで「あと何回、親に会えるか知っていますか」というのがありました。
実家のある地域と離れて住んでいる私。気になって計算してみて多少のショックはあったものの「実家に帰る回数を増やそう」「両親と過ごす時間を大事にしよう」と思ったものです。
私たちは親が年を取っていることを忘れがちである
ふと気になって検索してみたら、こんなサイトがありました。
家族に会いましょうともいうべきこのwebサイトの冒頭には、私たちは親が年を取っていることを忘れがちであると書かれています。
本当にそう。
名古屋という新幹線に乗れば2時間もかかることなく会いに行ける距離ながら、コロナ禍もあって実家へ帰ることが従来に比べて格段に減りました。ここ10年くらいを思い起こすと少なくとも年に3、4回は帰省し、西への出張時にはついでに立ち寄ったりなどしていましたが、昨年は2回です。
旅行ということで現地で待ち合せて一緒に過ごすことも1~2年に一度程度はありましたが、こちらは皆無。当時をとても懐かしく思い出します。
ということでやってみました。
「いや、そんなことないだろう!」
「間違ってるんじゃないの?」
そこには びっくりする結果が待っていました。…
皆さんもまずはここでやってみてください。
人生100年時代。私の父は80代になりました。一度手術をしてから少し体力を落としたものの元気にしています。
母は病気、怪我なく毎日自転車によってジムに出かけ、友だちに会い、仕事も少ししながらアグレッシブに過ごしています。
だからあと数回 という数字がにわかには信じられなくて一時呆然としました。…
平均寿命の推移からの裏付け
ちなみにこれはWorld Health Organisation Life Expectancy Data (2014)から算出されているようです。2014年だからデータが古いのでは?と厚生労働省の最新データを確認しました。( 参照:厚生労働省 令和3年簡易生命表の概況 )
確かに日本は世界に比して変わらずトップクラスの平均寿命ではありますが、10年弱の期間で見れば数歳延びているだけ。計算上は誤差のうちという類です。
この「平均」という数字に一喜一憂するのがナンセンスとは知っています。
私も含めて明日この世を去るかもしれません。これらの数字を見ると長い期間で見れば生存確率は伸びているものの、男性で3割程度、女性で半数ちょっとのみが結果的に90歳を迎えるということ。
いくら血筋が長寿だとか身体の調子がいいと言っても結果数字の事実は飲み込むほかありません。さらに言うまでもなく健康寿命を言う概念を差し引くと、これまでのような時間を一緒に過ごすことは非常に稀有なことだと再認識させられます。
https://www.satsuki-jutaku.jp/journal/article/p=2002
いつかそのうち、は来ない
コロナ禍が少し落ち着いてきて、やっと旅行ができる!帰省ができる!!と既に飛び出している人々がいる一方、外出や旅行ではない楽しみを見つけた方、インドアで一人で過ごす時間を楽しむようになった方、友人や家族と従来ほど会わない日常が普通になってしまっている声も聞きます。
でも…この数字を見て少しでも心がザワッとする方は、まずは親への連絡をするとか、次に帰省する予定や一緒に旅行をする計画を立ててみてはどうでしょうか。
生まれた直後からずっと自分の存在を見てくれている親との時間はかけがえのないもの。関係性によっては親類の方々、ご近所の方など含むでしょう。
落ち着いたら、ひと段落したらは優先度が低い時のことば。
「いつかそのうちにという日は来たためしなし」という言葉どおり、いつか、そのうちも過ぎ去ってしまうことでしょう。
「あと何回、親に会えるか知っていますか」
会える回数 = X:(平均寿命 現在の年齢) × Y:(年に何回会うか)
会える回数を増やすにはXの年齢を大きくするかYの回数を上げるか。
そうです。自分にできることは会う回数を上げるということ。
親に会うたびに経年の様子を感じずにはいられませんが、それでも生まれてからずっとともにある存在です。特にミドルシニアの皆さんの親御さんの年齢は70代、80代となっているでしょう。悔いないような関わりを意識していたいものですね。
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