「分断」を少しでも回避できる社会へ
「分断」という言葉を見聞きするようになって久しいと思いませんか。
少なくとも10年前には目にしていた記憶がありませんし、ましてや使ったことはありませんでした。
頻出する「分断」の背景に想いを馳せる
最近のニュースを検索してみました。
- 「助けあえない日本人女性、「分断」が進んだ背景
~他国に比べて女性間の連帯が弱いのはなぜか~(東洋経済オンライン) - 国連事務総長「ウクライナ背景に国際社会が分断」 総会演説で(NHKニュース)
- 原発核ごみどこへ、調査開始で分断された北海道の町 薄氷踏む日本のエネルギー【1】(日経ビジネス)
近日のものから数週間前のものまで、国内外のニュースのタイトルに「分断」の言葉が使われることは少なくないように感じます。
そもそも「分断」とは
改めて「分断」という言葉について考えてみます。
まとまりのものをさらに分けて区分すること。 分かれ分かれにたちきること。
きれぎれにすること。 寸断。(精選版 日本国語大辞典)あるものを別々に断ち切ること。寸断。
社会や国家、対人関係などを二つまたはそれ以上に断ち切って互いの連携を失わせること。
(Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)
言葉としては、悲しや寂しさなどで胸が締めつけられるような切ない印象を受けます。上で検索したのはニュースのタイトルで主張や感情は表現されていませんが、ネガティブな印象を持つのは自然なことではないでしょうか。
ものごとには双方の立場、関係性、そこに至る経緯があります。これらのニュースで「分断」されたものについて、読者として述べることは多くありませんが、共通するであろう背景について考えてみました。
分断が起きる背景
分断とは分かれて断ち切られて連携しないこととありました。なぜそうなるのか3つ挙げてみます。
①理解しあえないからではないかということ
理解しあえないのは互いを深く知らないから。対立にはそれぞれの言い分があります。その場に立ては正義正当正解でも立場が変わればそれらは否。連携したり譲歩しあうことを見出せない情報の量と質が、浅い理解や無理解を引き起こすのかもしれません。
②擦り合わないからではないかということ
擦り合わせるとは二つのものを触れたまま動かすことであり異なる意見などを合わせて調整することです。つまり接触しないと作用は起きないということです。擦り合わせる前のアクションとして「近づく」ことが必要になります。
③判断できないからではないかということ
上の2つをクリアして理解しあえたとして、よりよい状態にするために何を判断基準にして何を取捨選択するのかができないと、敵対視はなくとも結果的に二つは混じり合うことがないように思います。また判断後を引き受けられずに決断できないことも考えられます。
分断を解決するために大切なこと
では、この分断を解決するにはどうしたらいいのでしょうか。
①協力と対話
2つめの国連のニュースの中で、ウクライナ情勢を背景に国際社会の対立と分断が深まっている現状に強い危機感を示したグテーレス事務総長は「協力と対話がわれわれの進むべき唯一の道だ」と述べ、食料危機など共通の課題に一致して取り組むよう加盟国に呼びかけたとあります。
理解しあい、擦り合わせ、よりよい判断をするためには「協力と対話」が必要でであると理解します。ただ、そこで賢明な判断がされるかどうかはまた別の視点が必要であることは言うまでもありません。
②課題に対峙するときのマインドセット
もう一つ、違うアプローチで取り上げたいのは、課題に向き合うマインドセットです。
- 摺り合う先にある未来が「変化するという期待」がある
- 自分(たち)だけの問題ではないかと矮小化して孤立感を強めることをしない
- 周囲に理解されない状況に惑わされない
こうした姿勢で向き合い続けることで、少しでも前向きな議論、判断につながるのではないでしょうか。
非対称の関係性において知り合うことで理解を深め、近づくことですり合わせに寄り、譲歩や歩み寄りによって判断していく。そうして「分断」を少しでも回避できる社会であることを願うばかりです。
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