「自分は何がやりたいのか迷路」を抜け出して
ユニキャリアでは毎週火曜日朝にメルマガを発信しています。
ブログは緩やかながらミドルシニアのライフキャリアをテーマにしていますが、こちらは身近な出来事などを通して気づいたこと、考えたことをまさに「メールで伝える」ように気楽に書いています。
そんなこともあってでしょうか。メルマガには感想やコメントの返信が時々あります。今週の第58号のメルマガにも数人からの返信がありました。
そんな反響も交えながら今回のテーマである「自分は何がやりたいのか迷路」について書いてみたいと思います。
ハマると脱出困難?!自分は何がやりたいのか迷路
まずは本号のメルマガをご紹介します。
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「やりたいことがない」という人がいます。
改めて考えると「ない」「ないかもしれない」という人も。
まずは”改めて”考えちゃいけないような気がします。やりたいことは改めてじっくり考える、探すのではなく湧き出るものだと考えるからです。
「自分は何がやりたいのか迷路」は脱出が難しいです。
やりたいことがないといってもこんな場合もあるでしょう。
- 自分がそれを認識していない
- やりきってしまった
- そもそも意欲がわかない
一方で誤解があるかもしれません。やりたいことは
- 人のためになること
- それで稼げること
- 人に宣言できるようなもの
- 好きで止められないもの
- 中長期的で努力して手に入れるもの
私はそもそも定義がないと考えています。
やりたいことは、その人の欲望、熱情。何に心惹かれるかは個人の自由。「やるべきこと」ではなく「やりたいこと」は在りたい状態や欲しいもの。行動レベルでのやりたいこと。
- 新発売のコンビニスイーツが食べたい
- この本が読みたい
- 今日は怒らないで過ごしたい
こんなふうにフッと思うことはありませんか。「やりたいこと類」の糸口です。
- エンジニアになりたい
- 将来は独立したい
準備なくして即座に実現する、そんな類ではないですが願う未来の状態ですね。
- これ、いいな
- あ、気になる
- こうだったらいいのになぁ
いろんなレベルで「やりたい」と思うこと、感じることは周囲に溢れているのではないでしょうか。
- やろうと思ってた
- 行こうと思っていた
- そんなこと考えたことがあったっけ
これらはとても勿体ない。
私たちのココロの満足感、充足度、幸福感は自己認識の有無に関わらず期待に対して実際がついてきたときに感じられるものです。
太りたくない人が太れば落ち込むような事件ですが、太りたい人にとっては「やった!」という満足。
異動したかった人に辞令が出れば希望が叶ったことになりますが、そうでない人にとっては失望を感じる一件かもしれません。
やりたいこと(願い・期待)を認識することで「達成、未達成」「成功、失敗」「満足、失望」を感じることになります。人生に前者を得たければ、やりたいことを認識したほうがその確率は上がるでしょう。
今、認識できていないとして探すものではないと冒頭でいったので認識できるステップを考えてみました。
1.自分の思考や感情を感じ取って「やりたいこと」らしきを認識する
2.脳に刻むために書く、見る、沁み込ませながら「やりたいこと」を掴んでいく
3.実現までの楽観的ストーリーを何度も推敲しながら楽しむ
詳細については触れませんが続けているうちに気になること、やれたらいいなぁというものが明確に「やりたいこと」になっていくはずです。
もちろんこれで実現するわけではありませんが、自分のやりたいことに向かうワクワク感は手に入れられるでしょう。
その先については改めての機会に。
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読者の方から寄せられた感想
定年前に退職していくつかの仕事、ボランティア、さらにスポーツなどで日々忙しく活動されているAさんからはこんな返信がありました。
「やりたいことが多すぎて困っています笑
フルタイムの仕事やめて時間たっぷりあるはずなんですが、(時間は)全然足りないです~」
Aさんはお子さんが独立してご夫妻2人暮らし。定年まで家庭を支えてくれたパートナーが昨今お仕事を始められたことから今度は一手に、とまではいかないまでも相当分の家事分担もされているようです。Facebookで拝見する様子からは日々、老若男女に囲まれてアクティブに動く様子が伺えます。
現在のAさんは「やりたいこと」を探してなどいないように思うでしょう。
確かにメルマガ文中に書いたように、ふと湧き出でる衝動で向き合っていることは多いと思います。しかし「パステル画」という趣味の一つはインドアで何か始めたいと思って探して見つけたと仰っていました。
「探そう!」というアンテナを立て、「あ、気になる」というのにアクセスし、「一度やってみる」ことで心が動いた結果、始めたようです。
もう一人、Bさんの返信を一部ご紹介します。
自分は仕事がそんなに好きじゃないし、タワマンも高級外車も洒落たオフィスも興味ない。
子供は間もなく社会に巣立つので扶養家族は誰もいなくなる。
それでも「仕事」という限られた分野の中でやりたいことを探さなくてはいけないの?と勝手に思い込んでまた迷路にいたかも。
仕事以外では自分には湧き出るやりたいことが幾つかあって(あった)のを無理矢理我慢して蓋してた。
・学生の頃から続けてるトライアスロン
・30代の頃燃えていた総合格闘技
・高校の頃から通ってたサーフィン
「周りはもう誰もやってない。歳だし」「すぐ膝を痛める」と自分をなだめ続け格闘技とサーフィンはもう引退と思ってた。
気づいた今、溢れる気持ちに収まりはつかない。
Bさんは「やりたいこと」がないのではなく「やりたいこと」への誤解、前提条件があって自分の気持ちに気づいていなかったように思います。よかった、本当によかった。
早速Bさんは行動開始をして年内に達成したい目標設定までしたとのこと。Aさんのように時間が足らない日は近いでしょう笑
本音に耳を傾け「自分が心地よい状態」へ真っ直ぐ向き合おう
このようにやりたいことに気づいていくと、次は「本当はやりなくないこと」に敏感になっていきます。そこにどう対峙していくかについて少し残しておこうと思います。
私たちがモヤモヤしたり不愉快になったりストレスを感じるのは、自分の思いと状況(相手や環境)に差異があることで飲み込めないとき、飲み込みづらい時です。「これはやりたくない」「違和感がある」と気づいたときには向き合い方を変える、変えるために動きたいものです。大小の差はありますがストレスに繋がりかねません。
意見を言うこと、特にNOをいうことを苦手とする人は多いように思います。特に仕事関係で上下や力関係があると難しいケースが多いでしょう。しかし相手への敬意を払いながらもその「コト」についての意見を対等に交し合うのが人間関係においては健全ですし、それを我慢したり遠慮したり謙虚さと誤解していると自分を傷めることになりかねません。
- みんなもやっているから言うのはよそう(自分だけ違うことをするのは恥ずかしい)
- 相手も言われて困るだろう(迷惑をかけたくない)
- 我儘と思われそう(自分勝手だと思われたくない)
- やれないと思われたくない(カッコ悪い)
こんな気持ちがまとわりつくかもしれませんが、これは人間関係において自分が傷つきたくないと考える防衛本能の一環。
本音ではない関係性はどこかに無理を生じさせます。少なくとも自分の本当の気持ちを踏みにじってしまうことに繋がりかねないというリスクにも目を向けたいと思います。
私たちはNOも言える日本人ですから!
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