勝手上等。自由自在に生きることが人生を充足させる
自由自在にあるために、相手の「勝手判断域」を確かめてみる
「勝手はいけない」の裏にあるもの
あなたは他人に対してこんな言葉を投げ掛けられたことはありますか。
- 「本当に自分勝手なんだから」
- 「そんな勝手は許さない」
- 「勝手なことを言うな」
これらは「勝手」という言葉が否定的に使われている例です。辞書で調べるとこう示されています。
勝手とは、他人のことはかまわないで自分だけに都合がよいように振る舞うこと
あなたがこれらの言葉を言われたとき、本当に他人の気持ちや都合とぶつかっても、なお自分だけに都合よく思いどおりにしようとしていましたか。仮に、他人のことなど配慮せずに振舞ったとして、相手にどんな影響を与えていたでしょうか。
「勝手」が、“他人のことはかまわないで”ということなので、他人がその時どんな気持ちを持ったか、相手にどんな心配や迷惑をかけたのかはわかりづらいかもしれません。では、こういった言葉を他人に投げかけたときはどうでしたか。相手に勝手なことをされて、どんな気持ちになり、どんな影響を受けましたか。
ここで2つの例を挙げてみます。
1.「うちの会社の一員なのだから、勝手な気ままな行動は慎むように」と上司に言われた
実際にどんな行動を指すのか、明確にルールとしてNGになっていることなのか。それらの行動を慎むことには、どんな意味があるのでしょうか。
2.「勝手に私のペンを使わないでほしい」と言われた
「私の持ち物を私の許可なく使うことは許しがたい」という持ち主の意思が伝わります。許可を必要としない(自由に使ってくれて構わない)場合には、「勝手に使った」とは言いません。
2つの例から見えるのは、「それを言う人(または組織)の受容範囲で、勝手なのかそうでないのかが決まる」ということです。実際、後者は事前確認をとれば「勝手」ではなくなるわけです。しかし前者は難しい。自分の都合だけを考えているわけではないのに、相手から「勝手」と判断される可能性があるからです。企業人にとっては、慎むべきことを超えるのはバツ。「勝手」の烙印を押されるのを避けるために、相手が「勝手」とする判断を探り、抵触しないよう気遣いながら行動するようになります。
他人の気持ちや都合はどこまで理解できるのか
ここで自分を謙譲し、相手を敬い、尊重するためにある「マナー」にヒントを求めてみます。
規則、時間、約束を守る、自分から先に挨拶をする、報告・連絡・相談をする、敬語などの言葉遣いに配慮する…。マナーはルールではなく、こうすることで相手を尊重していることを表現しうる最大公約数のものだと考えています(マナー講師もしていた経験から言っています)。
これらを外すと、相手の意や立場に配慮しない、無下にしているということで、自分中心の「勝手」と判断されるのではないかと思います。相手とは、人のこころ。相手によって受け取りかたが違うこと、同じ人でも状況によって受け取り方が違うことから、それはとても難しいように思います。そこに、マナーという型があるとも言えます。
それでも、マナー通りにいかないことがあるのが現実です。借りた本の返却が2、3日遅れたことを気にしない人もあれば、約束の前日までに返してこないとイライラする人、何年も返しそびれたことを申し訳なく思っていて謝罪したら忘れていた、という人がいます。
好きだと聞いていた大福をお土産に持っていったら「今は、甘いもの控えているのに」と迷惑そうにチクリと言われることだってあります。何が言いたいかというと、自分の「勝手」と相手の「勝手」は違うということ。そしてそれは、慮りで空気や気配を察しながらでは大変だし、難しいし、疲れるし、その割に相手の「勝手」に抵触しない確率やインパクトの効果は、それほどでもないということです。
相手の「勝手判断域」を確かめてみる
私はここで、相手の「勝手」判断を探り、抵触しないよう気遣いながら行動するよりも、まずは自分のいいように「勝手」にしながら、相手の「勝手判断域」を確かめていくことをおススメします。
相手に判断される危惧のある「勝手」を先回りして避けるのではなく、「自分判断域」で行動しながら、それぞれの相手の「勝手判断域」や状況ごとのそれを確認してみるということです。意外に「勝手だ!」と言われることは少ないはずです。私たちミドルシニアは、長生きして、いろんな状況に関わってきたが故の慮りや空気を読む力で、相手の「勝手判断域」を相当大きなものと理解して、抵触しないよう行動していると思うからです。つまり、配慮、遠慮の方が大きいのではないか、と言うことです。
自分が「勝手」かも?と思っていたことはそうでもなく(相当な「勝手」なら謝罪しましょう笑)、相手との間でさほど問題になっていないことも多くはないと思います。ただし注意したいのは、相手との関係性によっては、「勝手だ!」と言いづらいこともあるということ。互いを尊重し合うために言いあえるよう考慮をしたいものです。
自分の「勝手」を大事にする
自分の「勝手」とは、他人のことはかまわないで自分がやりたいことをやるとも言い換えられます。この世に唯一、ユニークな存在である自分がやりたいことです。やらせてあげようではありませんか。ゆえに「勝手」を受容してくれる関係性を大事にしたいと思います。
自分に間違いや失礼があった際は別として、「勝手」と判断されるのに違和感がある場合があるでしょう。それは相手との価値観、感性の違いに要因があるからかもしれません。もうひとつのオススメは、そこで無理して合わせなくてはいけない理由がなければ、その人との関係に距離を置くことです。
私は個々人が自由自在に生きることが、人生を充足させることに繋がると信じています。その自由自在は、唯一である自分による唯一の判断です。
言い換えれば「勝手は悪くない」という生き方です。自分にとって大切かそうでないか、ストレスかそうでないかを判断することです。自分が「勝手」と思っていないことを、相手の「勝手」という判断に寄せる必要はありません。
あなたの人生は、あなたの「勝手」で良いと思います。互いに理解しあって「自分勝手」で生きていきませんか。
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