人生後半戦の野心のすすめ
2013年に出版された林真理子さんの「野心のすすめ」というエッセイをご存じですか。
本の帯にある”高望みで人生は変わる”とか、冒頭に書かれている“人は自覚的に「上」を目指していかないと、「たまたま」とか「のんびり」では、より充足感のある人生を生きていくことはできない”という少々暑(苦し)い文章を目で追いながらも同調の気分にならないのは、著者の言うように少々冷めた時代に生きてきたからなのか(いや、バブル時代は知っている笑)、性質なのか…。さておき読み進めるうちに膝を打つこと多々となり、今回は著者の文章を3つ引用してご紹介します。
1. やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる
あー、わかる!っていう方、少なくないのではないでしょうか?いや、本当に。
”やっちゃった”というのは、今さらどうこう思ったところでどうなるわけでなし、ミドルシニアにとっては、忘れたい思いも重なって後悔どころか記憶が薄くなるというもの苦笑。場合によっては話のネタに面白おかしく盛って、あれはあれでいい経験だったなぁと思う始末だったり。
しかし、やらなかったこと、言えばよかったことは、結果が出ていない分、もしかしたらうまくいったかもしれないという希望のタネが残っていて、ふとした時に記憶が現実味を帯びてくる気がします。
やろうとしたこと、やりたかったこと、やれていないことを「やる」「もうやらない」「(今は判断保留で)迷う」に分けて、カタをつけていきませんか?片付けや断捨離®のように、やりたいと思っていることを、このタイミングでやらないと決めるのは、諦めるようで、捨てるようで辛いですが、どうせやらない(やれない)なら、スッキリと忘れた方がストレスなくてよさそうです。
モノと違って、やっぱりやりたい!と思えば、また「やる」と決めればいいんですから。死ぬ前に後悔は一つでも少ない方がいい気がしている身としては、毎年書いている「今年やりたいことリスト」の〇の数を数えつつ、そろそろ来年のリスト作成のイメージを始めます。
2. 野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」。両方のバランスがうまく取れて進んでいる時こそ、健全な野心といえる野心と努力がうまく回ってくると、運という大きな輪がガラガラと回り始める
今、「あなたの野心は?」と問われたら何と答えますか。
ビジネスを立ち上げて、ここからさらに一稼ぎする、夫婦で移住してのんびり暮らす、生涯現役で仕事をし続けたい…。辞書によると野心とは” ひそかに抱く、大きな望み”ですから人にいう必要はありません。しかし、会社のレールから外れることが確定している方、すでに降りた方、社会でミドルシニアのこれからの参考例も少ないこのタイミングにおいては、自らの野心を掲げて、そこに向けて努力しながら運の助けを浴びるということに、ともに挑戦したいと思うのです。自分の車(人生)を動かすのは、自分しかいないから。
会社や組織で与えられた職務に従事するのとは違い、自分で自分に与える目的であり目標です。「できるからやる」「できるようにしてやる」と、これまでたくさんのことをクリアしてきたと思いますが、人生の後半戦こそ、「やりたいからやる」という選択をしてみませんか。事例も仲間も少ないかもしれませんが、達成感や充足感は格別だと思います。
3.妄想力が野心のバネになる
著者が言うように、”シビアに将来の自分の姿を見据えながらも、同時に自分を信じて、幸福な自分の未来を想像する”ということがとても大事だと思います。鏡を見ればため息が出るように、物理的な経年劣化への抗いには限界があります。しかし、妄想はエイジレス笑!会社などの環境(時には家庭)も、ひとつの関係性に過ぎません。世間を多少知ったばかりに、ああすると失敗する、こういうダメな例もあったなというのが脳裏をよぎりがちですが、ゲーム感覚でこんな言葉を頭に付けて考えてみるのもいいかもしれません。
「実は〇〇の天才なので…しちゃってる」
「〇〇がたいそう評価されて…」
ユニキャリアで関わる方は謙虚すぎる方が多く、「何もできない」「これしかできない」と言われる方が多い傾向にありますが、私にしたら、ちっともそんなことはなくていつも驚いています。1.で決めて「やること」の先に、じつはどんな妄想(野心)があるのか、そっちから攻めてみてもいいかもしれません。
慣れないうちは、勝手に思いつくまま空想したり、イメージするのが難しいかもしれません。私は1.で書いた「今年やりたいことリスト」を初めて書いたとき、10分で10個も書けなかったです。でも、年々書いているうちにスルスルと数十個が書けるようになりました。やりたいことよりもやるべきことを優先している人(つもりの人も含む)は、こういった傾向があるかもしれません。誰もが人それぞれ、やりたいことをたくさん持っていることを、今の私は知っています。
「こんなはずじゃなかったと世の中を呪う寂しさほど惨めなことはない」と著者は言いますが、「こんなはずじゃないなら、どんなはずなんだ」ともう一歩踏み込んで自分の心の声、頭の片隅にくっついている考えを引っ張り出して、「これ、これ!これですよ!」という人生にしていきたいものです。
1954年生まれの著者が2013年の還暦前に書かれた本書、変わらず私たちに示唆を与えてくれていると思いませんか。
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