【映画からの考察】夢みる小学校
「おとなも子どもも みんなこんな学校に行きたかった!」という文字が躍る【夢みる小学校】という映画を観ました。
この映画はアレクサンダー・サザーランド・ニイル(1883年10月17日 生まれ、 1973年9月23日没)というイギリスの新教育運動の教育家の活動に影響を受け、彼の著書の邦訳者でもある堀真一郎さん(以下、堀さん)が、大阪市立大学の教授のポストを離れて自ら創立した「きのくに子どもの村小学校(現在・きのくに子どもの村学園)」の紹介を中心に作られたドキュメンタリー映画です。(※60年間成績通知表や時間割りがない「体験型総合学習」を続ける公立小学校の伊那小学校、校則、定期テストをやめた世田谷区立桜丘中学校の西郷孝彦前校長も取り上げられています)。
きのくに子どもの村小学校(現在・きのくに子どもの村学園)について
概略
学園は西日本に5か所11校を擁し、今回は「きのくに」や「南アルプス」の授業の様子が描かれています。
◉きのくに子どもの村小中学校
◉かつやま子どもの村小中学校
◉南アルプス子どもの村小中学校
◉北九州子どもの村小中学校
◉ながさき東そのぎ子どもの村小中学校
◉きのくに国際高等専修学校
Webサイトにアクセスすると、学園名の上に書かれた「まずは子どもをしあわせにしよう。すべてはそのあとに続く。- A.S.Neill」という言葉が目につきます。映画の特設ページで本学園創立の堀さんが、このフレーズをコメントに書かれていることからも本学園の真髄なのではないかと思います。
ニイル氏による「子どもを学校に合わすのではなく、学校を子どもに合わせる」言葉も有名だそうですが、映画の中の「おとな」(先生ではなく、子どもと区別するために便宜的に使う「おとな」)たちが「楽しくなければ、学校じゃない」というのも印象的でした。
20年近くシュタイナーやモンテッソーリ、イエナプランやフィンランド教育などを聞き齧りながら、「主体性」「創造性」の発揮について考えてきたこともあり、ワクワクしながら映画の世界に引き込まれました。
VUCAの時代。新学習指導要領に見られる教育の挑戦
本映画の認定もしている文部科学省のwebサイトには、小学校における新学習指導要領(2020年から改定)が掲示されています。「生きる力 学びの、その先へ」をキーワードに、学校で学んだことが明日、そして将来につながるように、子どもの学びが進化するためにと改定されています。
過日、高校での「総合的な探究の時間」に触れて書いたことですが、小学校においても変わりゆく時代を生き抜く力を育む教育への挑戦が見受けられます。
まさにVUCA[Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)]の時代と言われて久しい昨今の社会で生き抜くために必要な力を育む取り組みの一つと言ってよさそうです。
学問・技術などをまなびならうこと、学校で系統的・計画的にまなぶことを指す「学習」ではなく、物事の意義・本質などを探り見極めようとする「探究」、あることの本質を見極めたい、理解したいと探る「探究心」を養う挑戦が始まっているというわけです。
長文重厚な学習指導要領にもざっと目を通してみましたが、各論として気になる姿勢や首をかしげたくなる箇所はあるものの総論は大賛成です。しかしながら変わる時代の展望を現場(学校、先生、親など)が共有し、対応できるのかと余計なことを思います。改定された学習指導要領の「育成すべき資質・能力の三つの柱」を眺め、左下の「知識・技能」に重きの置かれた時代が長かったことを思うと、関わる「おとな」それぞれのアップデートこそ重要ではないかと強く感じます。
体験学習の授業で体得する「自ら問いを立て、体験し、振り返る」プロセス
「きのくに子どもの村学園」は、30年前から「体験学習」を実践しており、子どもたちは「プロジェクト」とよばれる体験学習の授業を通じて自分たちでプロジェクトを運営し自らの頭で考え行動し学びを深めています。
時間割の大半はプロジェクトで占められ、「きそ」と呼ばれる科目授業は言うなれば補足的にあるのが特徴です。5つあるプロジェクトから自分で選択し、異年齢が関わり合いながら1年をとおして探究をすすめている様子は映画の中でも特に丁寧に描かれています。
- 「劇団きのくに」(表現)
- 「工務店」(木工、園芸)
- 「おもしろ料理店」(食の研究)
- 「ファーム」(農業)
- 「クラフト館」(やきもの、木工)
「遊んでいるようなことばかりで学力はどうなの?」という疑問については、その後の進学先や成績等から、他校に引けを取らないというデータが示されていました。大切だと思ったのは、「何をするか」「どのようにするか」と同時に「そこから何を学んだか」の振り返りを重視していることでした。
映画の中で「きのくに学校の卒業生は質問が多い」との大学教授のエピソードがありましたが、自ら問いを立て、体験し、振り返る、そんな循環が「体験学習」に組み込まれているように思います。
映画には、脳科学者の茂木健一郎さんのインタビューもありました。現地見学もしている茂木さんは、子どもたちが全身で学ぶ、探究する姿が本来の学びであり、脳のOS開発という意味では未来的であると評価しています。
複合的な課題にしっかりと向き合う
社会においては国語の問題、理科の問題と科目ごとに課題があるわけではなく、気候、生物、モノづくり、人間関係…すべて複合的な課題です。まさに総合的です。解決するのには様々な知識や経験、思考を駆使して判断し、仮説を立てて動き、確認しながら解決へ導きます。個々に学んだことを結び付ける力、総合的に取り組んだことを個々に分解して理解する力、これらがまさに「生きる力」に繋がっていくのではないかと思います。なんにせよ子どもたちが探究に目を輝かせている映像は眩しくて、まさに「こんな学校に行きたかった!」
意志決定は子供主導の合議制で
他に特徴的なこととして、授業のすすめかたも全校集会も子どもが司会進行をしながら考え合っての合議制ということ。おとなも1票、小学1年生も同じ1票、皆で考え参画して決めることによる「主体性発揮の機会」を垣間見ました。世田谷区立桜ケ丘中学校前校長のインタビューの中でも「生徒総会で議論して決めたことは絶対。先生らで何とかして実現するように協力する」とありました。「どうせ言ってもムダ」がない効力感は、授業外における学校の運営姿勢、体制の中でも育まれています。
「私が私でいられる」ことを自覚する子供たち
堀さんが嬉しかったと目を細めながら話したことに、子どもからの「この学校が好き。だって私が私でいられるから」というのがありました。この言葉、ドキリとしました。「私でいられる場」、私たちは子どもに与えられているでしょうか。愛情という名のもとに「こうあってほしい」という型、箱に何とかして入れようとしていないでしょうか。「大人がそうして欲しいと願うなら」と子どもは大人が思う以上に大人の意を汲んで行動に移そうとします。子どもに無理や窮屈、苦しみを与えていないでしょうか。
そして自分自身はどうでしょう。「自分でいられる」場にいるでしょうか。そして周囲…家族や共に働く人たち、関わる人たちとの間は「好きなことを言っていい」「好きなことができる」環境でしょうか。そんなの理想だよ…という声も聞こえてきそうです。
熱中こそ成長の源泉
人は自分の好きや想いのあることに熱中できます。「熱中は成長の源泉」だと茂木さんも仰っています。のびのびと主体性を持ち、創造性を発揮していくことは、子どもだけでなく大人にとっても成長の要件であると映画を観て確信的に感じました。そんなことからもマネジメントの現場にいらっしゃる方々にも観ていただきたい映画です。
最後に。
自由には責任が伴うとか言って子どもを自由にさせないことがある。この学校では責任は大人がとるから、とにかく自由にやりなさいと言っている。子どもは自由にすれば幸せになる力があるんです。(堀さん)
映画は意図によって現実を切り取って製作されているため、登場した施設や人を手放しで大絶賛をするものではありません。しかしながら人の成長の根幹について考えさせられる作品であり、人生の後半戦を考えるにおいても参考となる多々の気づきを得られました。
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