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好奇心とともに、生きる

「世の中のこと、おおよそどれくらいわかってると思う?」

先日ランチをご一緒した70代の経営者の方からそう尋ねられました。
「少年のような」と形容詞をつけたいその方は眼鏡の奥のクリクリの目で人の話を本当に楽しそうに聞き、知らないことがあるとスマホで検索しながら「へぇ、そうなんだね、知らなかったよ」と手帳を広げてメモを取られます。

そんな方から伺う話は住む世界が違い過ぎることもあって知らないことばかり。経営のお話、アートのお話など話題は多岐にわたり尽きることがありません。

そんな方を前にすれば尚更のことで「わかっていることの方が少なくてというどころか、わかっていることがほとんどないに等しいです」と答えました。するとその方はニッコリ満面の笑みで言いました。

「うん、それはよかった。じゃあ知りたいことばかりだね」

生きる力とは何か

以前のブログ【プランド・ハップンスタンス〜新しく「得る」在り方】のなかで、プランド・ハップンスタンスにおける5つの行動指針をご紹介しました。
①好奇心
②持続性
③柔軟性
④楽観性
⑤冒険心
これらを人生の後半戦を自分の手でドライブするための重要な要素と考える理由について、次のように記しています。

生きることの喜びや張り合い、生きる価値にあたる「生き甲斐」は、ミドルシニアが意識しすぎてもし過ぎることはありません。なぜなら、これまで学び、仕事、交友関係を「得て」きた前半とうって変わって、人生の後半戦ではそれらを「失う」ことに直面することが多いと考えるからです。

ただし大事なのは、これまで「得た」もののうち「失う」ものがあっても、今からでも「得て」いくものはたくさんあるということ。むしろそれをこれまで以上に求めていくことが必要なのではないでしょうか。

冒頭のような方は本当に好奇心の塊。知らないことを面白がり意味づけて理解しようとする、まさに先のブログで伝えたかった新しく「得る」在り方モデルとも言えそうです。

情熱は生きるエネルギー

数年前に亡くなった伯母の話をします。

伯母は「もう、この世に思い残すことはないから早くお迎えが来てほしい」とよく言っていました。カラダに不自由が見られるようになる前からのことです。

  • することがない
  • 楽しみがない
  • やりたいこともない

これらは人の生きる力も削いでしまうのかなぁと思ったものです。

そして今、実は父のことを心配しています。
伯母のような言葉は発しないですし、一日でも長生きしていてほしいと願う娘心ではありますが、日常生活での楽しみが少ないのです。

脱サラして60代で仕事を引退するまで父はある意味モーレツに仕事をしていました。

仕事が好き、稼ぐのが好きだったようです。後年は組合などでの役員などもしていたため交友関係も広かったように記憶をしています。平日は帰宅後にテレビを観るのが楽しみ、週末は学生時代の友人らとマージャンをするのが数10年来の趣味と言えば趣味だったと思います。

しかし兄弟を亡くし、一人二人と数少ない友人をも亡くした後の交流は家族中心です。近所づきあいも挨拶程度、ジムに出かけたり病院に行ったりと外出はあるものの出かける目的がその他にないのです。

なにも出かけることが大事というわけではありません。

ただ先のブログの中でも紹介したIKIGAI的に見ても「好きなこと」「得意なこと」を追及したいという欲求は情熱を生むと思うのです。その情熱は生きるエネルギーとも言えるのではないか、伯母や父の様子から実感を持つ昨今です。

情熱の根源にあるのは「好奇心」

そのフックでありスタートが好奇心。
分からないものに対して、その理由や意味を知りたいと考えること。人の根源的欲求であると言われています。

2005年のテレビドラマ「女王の教室」を覚えてますか?天海祐希さんがにこりともしない鬼の形相で小学6年生の先生役:阿久津真矢を演じたドラマです。この中に好奇心について触れたセリフがありました。

勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。

これからあなた達は知らないものや理解できないものに沢山出会います。

美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものに沢山出会います。

その時もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。

好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。

自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からないことはいっぱいでもあります。

世の中には何でも知ったような顔した大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。

良い大学に入ろうが良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えばいくらでもできるんです。

好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。

母は、父が何かに情熱を向けるよう「やってみたら?」「これはどう?」といろいろ提案をしてみたようですが、本人がその気にならなければ触手は伸びません。

心の赴くままに生きよう

私たちは「やりたい」「やりたくない」は横に置いて、それをやればお金を稼げて得たいものに替えるという日々を長く送ってきました。

でも「好奇心」の最終ゴールは自分の満足です。自分の時間=命の充足です。どんなに人がいいと言っても、面白いと言っても、自分が感じなければ得られないものです。

役に立つか立たないか、儲かるか儲からないか、かっこいいかかっこ悪いか、評価されるかされないか……。つい考えがちですが、そのせいで「心の赴くままに」好奇心が発露しない状態になってはいないでしょうか。合理的ですが、逆算して好奇心をコントロールすることにすら慣れてしまいます。

一方で役に立たない、儲からない、カッコ悪い、評価されない、さらに加えれば笑われたり揶揄われても気にしない、止められない好奇心を持った人は意識することなく、心の赴くままに動いているのではないでしょうか。

今一度、好奇心に目を向けてみませんか。
私たちが人生の後半戦を考えるきっかけは、きっとここから始まると思います。

その意味、ここも阿久津真矢先生の言葉を借りてブログの最後としましょう。

イメージできる?
私たちの周りには美しいものがいっぱいあふれているの。
夜空には無数の星が輝いているし、すぐそばには小さな蝶が懸命に飛んでいるかもしれない。
街に出れば初めて耳にするような音楽が流れていたり素敵な人に出会えるかもしれない。
普段何気なく見ている景色の中にも時の移り変わりでハッと驚くようなことがいっぱいあるんです。

そういう大切なものを、しっかり目を開いて見なさい。
耳を澄まして聴きなさい。
全身で、感じなさい。
それが生きているということです。

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