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【ミドルシニア向けのキャリア論】私たちは本当に何者にもなれなかったのか

ミドルシニア向けのキャリア論に対する関心の高まり

「40~50歳代の大部分の何者にもなれない大多数の勤め人は、これからどうしたらいいのか?キャリア論は若者向けばかり」といったTwitterの投稿が、今現在5,900を超えるいいねと1,850近くのRTで反響を呼んでいます。

 

 

 

 

 

 

このツイートを引用したブログはFacebookでも転載され、目にされた方も多いと思います。
「何者にもなれなかった大人はどう生きればいい?」中年からのキャリア論が欲しい
興味のある方と一緒に考えてみたいテーマだったので、このTwitter上での議論(意見交換)とともに取り上げます。

「何者にもなれなかった」とはどういうことなのか

私は常に私でしかない

ユニキャリアのwebサイトに、ジョブホッパーともいうべき私のキャリアを掲載しています。

 

 

 

 

振り返って10年単位で総括し、20代を「何者かになりたかった模索期」としています。当時の私は何者でもないという前提に立っていて、何者かになりたい、ならねばならないと焦りながら強く考えていたことを思い出します。「何者かになりたいが、その何かはわからない」という暗中模索の中で手応えあるものを探し続けた時を経て、私は何者かと問われればこう答えます。

「私は私である」と。

何も自信を持って返答しているわけではありません。ある意味「何者にもなれずにいる」けれど、見方を変えれば私は常に私でしかないと今なら言えるからです。

「何者」を定義する意味を問う

何者かとはなんでしょう?何になったら何者かになったことになるのでしょうか。

私はここで表されている「勤め人」というのも何者かに応えていると思いますし、アルバイトでも無職でも同様です。医師、会計士などの専門職も、営業や人事、経理などの実務に従事する人も皆その役割を持った何者かであると思います。娘、母、祖母といった立場もです。

ここで私は「何者」を「役職者」と置き換えることはあえてしませんでした。役職という役割も有期のため定年退職前になくすことになるからです。一般的に一部の役員以外は50歳代で役職定年を迎えるため、今「何者か=役職者」である人も、数年後には「何者でもない=役職定年」となります。なお、役職定年については以下のブログ(前後編)で事例をあげつつ実態を考察しています。

役職定年制度に直面するミドルシニアのリアル(前編)
役職定年制度に直面するミドルシニアのリアル(後編)

何者であるかは自分で決めればいい

私が「何者であるかは自分で決めればいい」と思うに至ったのには、テレビでの武田鉄矢さんの発言がきっかけです。3人組の芸人である森三中の大島さんと村上さんが育休中、一人テレビに出ていた黒沢さんがこういいました。

私、不安なんです。3人で森三中をしてきて、育休中の2人がいなくて自分ひとり。大島さんも村上さんも面白いけど、自分は面白くもなんもないじゃないですか。こうやって呼んでもらっているけど応えられていないんじゃないかって
※当時の記憶なので細かな表現は違っているかもしれませんが、ご容赦ください。

すると、かつての金八先生はこう言いました笑

私らの世界は名乗りの職業なんです。自分で俳優だって言ったら俳優なんです。資格もなにもない。その代わり俳優として認められるように頑張らなきゃいけない。でも売れようが売れまいが俳優は俳優なんです

芸能人でもない私ですが、その時にふと「そっか、自分で決めればいいんだな」とスッキリしたことを覚えています。

企業に勤めていたら辞令で役割は決められて「〇〇担当」と名刺に記されて名乗ることになりますが、自分自身を表現するのに仕事以外でこう名乗る必要はありません。小物をつくるのが好き、パンをつくって知り合いのお店に卸すようになった状況をして、副業でも趣味でも「小物作家」「パン職人」と名乗っていいわけです。

人はそもそも生まれた時から何者かであり、どこに向かい、どんな意味付けをするかは自分自身であると考えます。「資格、実績がないのに名乗るものではない」と忠告してくる人がいますが、無資格を有資格者と名乗ったり、ない実績を捏造したりしない限り問題はないと思います。

それでも私たちは、いつか働くことを止める日が来ます。大それた何者かでなくても、自分のアイデンティティとして「何者である」と言える方がよいのではないでしょうか。立場でなく職種でなく、ありたい自分自身をどう表現するかを考えること、実はユニキャリアがミドルシニアのキャリアを考える一つの視点として重視していることでもあります。

ミドルシニア向けのキャリア論がないわけ

ミドルシニア向けのキャリア論への注目度と難しさ

実を言うと今回のTwitter界隈での反響には驚いています。

5年近く自分ごととしてミドルシニアのキャリア周辺に強い問題意識を持って探求を重ねていますが、実際の声をこれほどまでに聴いたのが初めてだったからです。確かに限られた世界の傾向ある一部の声だとは思います。しかし5年前に「そんなこと企業の経営課題にならない」「どこに困っている人がいるの?」と言われたことが嘘のようです。

定年まで働いて、退職金や年金でのんびりしているうちにお迎えが来る……といった生涯ではなさそうな私たちミドルシニア。キャリア教育もさほど受けていないこの世代にとって、前例もロールモデルも示されない中で自分のキャリアを考える難しさは、自分も通っている道なので重々承知しています。だからこそミドルシニア向けのキャリア論が必要だという声、きっと今回の反響の大きさからも今後そのうねりが上がってくることと期待します。

とはいうものの、新社会人とは違い、ミドルシニア世代になるとそのキャリア(経歴、生きざま)は多様で志向もさまざまです。「こうすれば就職戦線突破できる!」のような「これだけで今後の仕事人生は充実する!」ような処方箋はないと思います。

ミドルシニアは「新しい山」を登れ

実際の話に戻しましょう。人生90年、現役70歳時代を生きていくミドルシニアの私たちが65〜70歳までは働き続ける流れなんだなと認識したならば、新社会人で目指した山(この会社の一員として働きたい!少しでも昇格昇給したい!)ではない山を目標に置き換えないといけません。そして「いつまで働き続けられるかどうか」ではなく「いつまでどう働き続けられるか」という「どんな仕事を」「どのように」と分解して考える必要があります。

定年延長、再雇用といわれる今の職場でそのまま働き続ける場合には「いつまで」だけを想定するかもしれませんが、仕事も報酬も変化する状況で果たしてその選択でいいのか再考すべきです。企業の中にこのケーススタディともいうべき母数が少ないこと、課題として捉えられていることがまだ少ないこともあって、企業が新しい山を示せていないというのもキャリア論がないことに繋がるでしょう。

私たちは成熟低成長時代を背景に高齢社会で生きていく先頭集団です。環境は整っていないし、ロールモデルだっていやしません。これまで「こうしたらこうなる」モデルやレールがあった世代とは確実に違います。でも私たちが模索していくことを通じて新しいモデルやレールが生まれていくーそう考えたら、ミドルシニアのキャリア論がないことへの諦めとともに、少しの楽しさが湧いてきませんか。

人生の後半戦は自分の手で

ユニキャリアは「人生の後半戦を自分の手で」と謳っています。本当は「人生の後半戦は自分の手で」といいたいところを遠慮がちにしました。

これまで自分の人生は、親や学校の先生、上司らの指示、家族の依頼などによって選択してきた部分が大半ではなかったでしょうか。これからは情報収集もその取捨選択も自分の心の声に従って為すことをすすめたいからです。よりよく生きられるキャリア論やモデルを待ちながらも、自ら探す態勢をとっていきましょうよ、というメッセージです。

先のTwitterの一連に目を通したミドルシニア(後期)の知人からこんな感想が来ました。

おそらく「何者にもなれない」って「自分自身に納得がいかない自分」ということなんでしょうね。
ぼくもまだまだ、「自身」に納得しているわけではないので、「何者か」でなく「自分自身に納得できる自分」になるために走り続けますよ・・・最近、股関節が痛いのですが(苦笑)

自分自身が美味しいものが、他人にも美味しいとは限らない。自分の嫌いな映画を、こよなく愛する人もいる。そうだとすると自分自身が納得する自分は、自分にしかわからない。外に探すのではなく、自分の中のその種を探すときが近づいているように思いませんか。

いつか働くことを止める日まで、ありたい自分で

ちょうど40代〜50代でこの先のキャリアや生き方に迷っているという方は、今は「ミドルシニアのモラトリアム」、つまりアイデンティティ確立のために試行錯誤する猶予期間と考えて模索するタイミングだと考えてみてはいかがでしょう。青年の頃に問うた「自分は何者であるか」から20~30年経って改めて「自分は何者であるか」というアイデンティティを見直し、自分と向き合ってその後の人生を展望し、決断する勇気と行動力を装備する準備が必要なのです。

これからの私たち世代にとって本当に大切なのは、大勢に向けた「キャリア論」ではなく、あなたが納得できる「ありたい自分の姿」を見つけること。そしてその目的地を目指して進む旅路を楽しめることではないでしょうか。

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